明日はきっと晴れ

毎日過ごす中での思いや気づきを綴ります。

仕事をする理由⭐️

友だちと仕事をする理由を話した。

もちろんお金を稼ぐという理由もあるけれど、それだけでは楽しくないし、続かない。

とにかくわたしは職場の仲間と楽しく過ごしたい。仕事をなめてはいない。何でも楽しいと色んなアイデアが出てくる。楽しければ人とひとも繋がっていく。世界が広がるし、チャンスもおとずれる。

結局、楽しくするもしないも自分の意識次第!

仲間の悪いところばかり目についていたらつまらなくなる。

職場でうまく回らなかったり、つまらない場合に確実に言えることは、コミニュケーションが足りないということ。

大抵が誰々はこう思ってるとかこう思われているとか、不確定な自分自身の思い込み。直接聞いてみればすぐに解決することも勝手な思い込みや、捉え方で良くも悪くもなる。

わたしはとにかく子どもも大人も楽しい場所にしたいから、自分からもっともっとコミニュケーションをとって話していこう。伝えていこう。伝えてもらおうと決めた!

どうせ働くのなら、ワッハッハ〜とおもしろおかしく過ごしたい😊

 

気持ちよく過ごしたい

昨日も学童にて。

ある男子と来年も学童に来るのかという話をした。

わたしから見た彼の印象は、

大人しい、人の話をよく聞いている、自分のことは何でも自分でやる、慣れると話す。

活発な方ではないが、体を動かして遊ぶことも好き。落ち着いている。

彼は、来年度は、普段は通って来ないで、夏休み冬休みだけ来ることにしたらしい。

理由は、学童はやなヤツばかりだからだそう。観察しているから分かってはいたが、

理由を聞いてみた。

やめてと言っても、ドリルに落書きされたり、ボールで遊んでいる時、うまく投げられないと

バーカ!ヘタクソ!と言われたり、ルールを決めて遊んでいてもすぐにルールを破ったりするから、面白くない、と。確かにその通りである。皆が遊ぶのを見守っていても、どこかでは必ずそういう状況を目にする。見かけたら、すかさず注意するが、された方は何てない顔をしている。

自分たちが子どもの頃は、こんな感じではなかったよなあと思いながら、学童にいることが多い。

ならば、昔はどこで楽しく遊べる感覚を養っていたのだろうと。

現在の子育ての環境は、わたしからしたら壮絶である。あまりにも恵まれすぎていて、キツイことや辛抱することを子どもたちが経験する場がほとんどない。そして、大人が何でもしてしまうせいか、子どもたちはちょっとのことでも、面倒くさがることが多いように感じる。

今は、土の時代が終わり風の時代に入り、キツイことをしないで心がワクワクすることをしていれば、楽しいことが引き寄せられて過ごせる時代というけれど、それは相手を思いやることができて、多少手間のかかることも面倒がらずにできて、人がしないようなことをしようとしたり、社会を少しでも良くしたいと思いながら過ごせる人が時代に後押しされるのだろう。

 

話を戻すが。

なので子どもたちは日常の中で生活の、生きていくのに必要な事柄を必然的に

習得する場が減っているように感じる。だからなのか、特に他人を思いやることができない。自分自分が強すぎる。自分さえ良ければを強く感じる。

家でも学校でも学童でも、どこでも他人と過ごす時間がほとんどなのに、他人を思えない。

想像力の欠如である。言われてイヤなことは言わない。言われたらいいなと思うコトバを使う。そこには想いも含めてだけど。

ヒトはヒトでしか満たされない。←これはわたしの中の大発見##

他人と、友だちと、関わるすべてのヒトといい関係を作りたいのではない。ただ、気持ちよく過ごしたいだけである。それには、おはよう、いってきます、おかえり、ただいま、ありがとう、ごめんね、またね〜という簡単だけど気持ちのあるコトバを交わすだけで実現するのではないかなと考える。何より、気持ち良く過ごせる。

いつの日か。自分の通う学童を、そのようなコトバが、所々で聞こえる場所にしたい。

 

 

 

 

 

自分のカラダを想いながら過ごす

昨日職場で、合間に自分の水筒で水分をとっていた。

同僚の一人も隣で水筒を傾けた。するとカラカラと音がした。

エッ⁉︎と思い、「この時期に氷?」と聞くと「氷食症だよ」という。

初めて聞く氷食症について話てしくれた。

明確な証拠はまだハッキリしていないが、

ストレスや強迫観念によるもの、貧血に伴う口の渇きなどが原因みたいだ。

なるほど、またひとつ知らないことを、知ることができた。

 

さて、私は現在40代後半である。40歳を過ぎた頃から、身体のことを考えることが

増えてきた。それは、単純に疲れやすくなってきたからだろう。

話はかわるが、元々『食』にとても興味がある、というか考えることが多い。

それは、食べること、作ること、調味料のこと、食材のこと、台所道具のこと、

食が身体を作っていること、食の嗜好などに関心がある。

食べることについては、自分が食べたいものを自分でつくって食べられる環境に感謝の

一言。そして、私が作ったものを好きな人たちが喜んで食べてくれる。とても嬉しい。

作ることについては、なるべく食材が持っているそれぞれの特徴を味わえるように、

生や焼いたり、蒸したりして塩やオリーブオイルだけの味付けで食べるようにしている。

飽きずに何年も続いている。

調味料は、なるべく余分なものが入っていないものを選んで使っている。少々、コストが

かかるなあ思う時もあるが、将来の身体への投資と思い続けている。何より、余分なものが入っていないと味がいい。そして、薄めの味で済む。

食材については、その時期のもの、地のものを選んで食べる。なるべく自然栽培のものを。

台所道具については、理にかなっていて、シンプルで美しいものが好きだ。

うちにある代表的なものは、鉄瓶。一年中使っている。最近は寒くなってきたので、水筒の中身は、白湯(さゆ)である。ただのお湯じゃん!と思うかもしれないけれど、しばらく飲んでいると何とも言えない味を感じるようになる。ぜひ1ヶ月くらい飲んでみてほしい。

何より、鉄が取れるのとお金がかからないのが良い。

もうひとつ大好きな調理道具は蒸し器。蒸し器を使うと、食材の風味や甘味がマシマシになって美味しい。そして、栄養素の流失が少ないのも魅力である。

食が身体を作っていることについては、なるべく加工されたものより、自分で加工するようにしている。自分の身体に、なにを入れているのか把握しておきたい。

あと、最近よく耳にするようになったが、なるべく精製されていないものを選んでいる。

白砂糖は使わない。甜菜糖や黒糖、味醂、ハチミツを使っている。小麦粉もほとんど取らなくなった。パンケーキが食べたくなったら全粒粉のものを選ぶ。

そういえば、姪が身体が強くなくすぐに体調を崩している中で、白砂糖と小麦粉を摂らなくしたら、下痢はなくなり、身体が軽くなったと言っていた。気分も下がることがなくなったとも。

食の嗜好について。私は、野菜と大豆製品が好き。あとたまに豚肉。野菜は、めずらしい野菜を見るとテンションが上がる。すぐに購入して、調理法をネットで調べて調理して食べてみる。美味しいなあと感じる時ばかりではないけれど、これはずうっと続けていきたい。

大豆製品はがんもに厚揚げ、煮豆、納豆。毎日毎日食べている。これは身体にいいよりも

単純に好きが強い。

そして食の嗜好といえば、付き合う友だち。そして家族。コロナの期間を経て、付き合う友人が数人に減った。とても嬉しいことだ。うわべで話したり、気を遣って話す人たちとは疎遠になった。その友人たちは、ゆっくりじっくり、一生をかけて付き合っていきたい人たち。見えるものや聞こえるもので判断しない。存在を認め合える人たち。その人たちとは、いろんな感覚がとても近いのだが、もちろん食の好みも同じだ。ウソだと思う人は、思い出してみてほしい。一緒にいて心地よい人や、意見が違うことがあっても、そういう意見もありだよねって思えたり、言い合いになってもまた会いたいと思ったり。そういう人とは恐らく、食の好みが近いことが多いだろう。

 

話を戻すと。年齢を重ねるにつれ、身体のことを考えることが増えた。

初めに話した、同僚の話。。氷食症。  

やはり身体には常温や温かい飲み物の方が優しいから、ストレスは運動でもして発散する

習慣をつけ、足りない鉄分は鉄瓶や鉄のフライパンを使ったりして、日々の中に組み込んでいったらどうかと、今度話そうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たのしくはないだろうな。。

昨日、職場である学童での出来事。

4年生男子Aくんが屋上に行こうと言ってきた。3年男子数名と高学年数名がいつものように

キックベースをし始めた。20分後くらいに女子もやってきた。男子と女子はその日も別々に

遊ぶということで、広くない屋上を半分づつ使うことになる。しかしいつもの様に半分から出てる出てないのやり取りが酷かったので、時間を決めて交代で使うようにした。

 Aくんは普段、女子と笑って話したりする時もあれば、なんだかんだと言い合いをする時もある。屋上の使用に関してはAくんだけでなく、3年のBくんもいつも女子と揉める。

 

さて、男子の時間が、「残り1分だよ〜」と知らせると、Aくんが「はあ〜??」

と言ってきた。これまでも私とAくんの会話は、ふざけて「何言ってんだよ〜」とか「ふざけんなよ〜」などと交わすことは度々あったが、昨日のAくんの態度は、私の中の許容を超えていた。

「はあっ??ってなん」「はあ?は、はあだよ。わかんねえの?頭わるいんじゃないの」と頭に手をやりバカにする態度をとり、そのあともなんやかんやと、私も彼も汚い言葉で言い合った。そのあと、男子は女子との交代で部屋に戻る。 

 

私があとから戻ると、彼はひとりで本を読んでいた。どうしようかと迷ったが、いい機会なので、私は、はなしに行った。

私が彼と話した内容は、

彼の態度が目上の人間に対する態度ではないこと。

何かを言った時に、相手から「はあ?」と言われることは一般的に不愉快だということ。

人が自分に話をしているときは、本を見ないで顔を見て話を聞いたり返事をすること。

相手で態度を変えるのは、いかがなものかということ。でした。

彼は終始、話に来た私の顔は一切見ずに、本を見ていたが質問には答えていた。

その中で。彼は、はあ?と相手に言われても別に何も思わない。別にそれは普通のことだと言っていた。だから、一般的には嫌な思いを抱くよと伝えたが、返事はなかった。

最後に、私はAくんを嫌いでこういう話をしているわけではない。楽しく皆と過ごしてほしいと思うから話す、と伝えた。

 

最近は、子どもたちに限らず、大人たちも他者への最低限の配慮がないように思う。

外を歩いていても、車同士は我が我がと自分が先に行くことばかり目につく。

横断歩道でも、曲がってくる車が優先なのか、歩行者が優先なのかわからなくなるくらいある。

電車に乗る時も、降りるひとが先に降りてから、乗車してきたが、最近は降りているのと同時に乗ってくる人が少なくない。

 

学童では、自分が言われたら嫌なことや、されたら嫌なことはしないようにと話している。

それは当たり前だと子どもの頃から思って過ごしてきたが、最近は当たり前ではなさそうだ。

他人に優しくしろとは言わないまでも、嫌なことを言ったりやったりするのはルール違反。

そして、小さいコミュニティーだからか、認め合うことがなかなかできない。

自分都合のどうしようもない杓子定規で人を判断したり、仲間はずれにしたりする。

なにはダメ、かにはダメではなく、人を傷つけないというルールだけを守りみんなで、ワイワイガハガハ、時にはけんか(お互いに嫌いにならないのが前提の、もっと言えばお互いをより深く知るためのけんか)をしながら切磋琢磨していける集まりになったらいいなあと心から願う毎日である。

 

 

学童に勤めて。。。

現在、学童に勤めている。なんだかんだと思うところがたくさんありながらも、もうすぐ勤めて2年になる。

元々、子どもと老人が苦手だと認識しながら生きてきたので、彼らと同じ空間で仕事をすることを想像したことはなかった。

勤めたきっかけは、知り合いに『あなた向いているわよ!』などとそそのかされたのがきっかけだった。ちょうど仕事を探しているタイミングだったのと、人間観察をライフワークにしていたので、子どもたちの調査をすることもかねて働くことに決めた。

 

子どもたちや、一緒に働く職員のことなど日々ネタはたくさんある。学童で、気づいたことや考えさせられること、最近の子育て事情などなどを綴っていこうと思う。

 

まずは、出勤の度に思うこと。

なぜ、うちに通ってくる子どもたちの多くは『おかえり〜』『さよなら〜』などの挨拶をしても返さないのだろう??ということ。世の中の子どもたちはみんなそうなのか??

 

色々考えたが、家でそういう会話がなされていないのではないか、ということと、

親でもない、学校の先生でもない大人にすること挨拶するのが面倒臭いのではないかと。

タイミングを考え、おかえり〜って言われたら、ただいま〜って返すもんじゃない⁉︎

というと、スルーしたり、ふんっという顔をしたりする。だから私はその子の背中に挨拶は

基本のきだよ、とか挨拶はされたら返すと気持ちいいもんだよ!と伝える。

なかなか精神力のいる行為ではあるけれど、私は、そんな言葉かけを続けていくと決めている。家でも挨拶や返事、声かけをたくさんしてほしいという願いを込めて。

 

そして。。子どもたちと話していると、面倒臭い!という言葉がよく出てくる。オモチャの片付けから宿題、掃除など...

 自分が子どもの頃どうだったかを思い出すことを最近よくする。

まあ、時代が違うからといえばそれまでの事なのだが、習い事もゲームもなかなかすることが

我が家では難しかった。あと自分の部屋をキレイにしておくことも当たり前のしていたし、風呂掃除や洗濯物の取り込みなど、家での役割分担があった。

今の子どもたちはとても、恵まれている。けれど不幸だなとも思う。

望まない習い事に行かされたり、便利でキレイな家に住んだり。そして何より、 

親が何でもしてしまっているのだろうと、子どもたちと接していると感じる。

よく見かけるのが、迎えにきた親がランドセルやかばんを持ってしまうこと。

小さいうちから自分の持ち物は自分で扱う、小学生になれば、自分の明日の準備は

自分でする。

自分にまつわる事は、自分で考えて、自分で決めて、自分で行動する!!

これが生きていく上で、何より大事なことと私は考える。

周りの親や祖父母、大人たちは失敗しないように、先回りするのではなく、子どもが自分のそばにいる間に、何でも自分でさせて、たくさんの失敗をさせてあげて欲しい。なぜならそばに

いれば、すぐにサポートができるから。

親が失敗しないように子どもを過保護にしていたら、社会に出ても自分から挑戦できない。

なぜなら、失敗が怖いから。でも、小さいうちから色んな体験と失敗をしていたら、やってみて上手くいかなかったら修正して、またチャレンジすればいいだけのこと!と分かる。

 

是非是非、子どもを近くで見守って欲しいなあと思う毎日である。

 

 

台風効果⁉︎


毎年温暖化と言われ続けているが、今年は特に、全国的に水害が発生している。

梅雨も気付いたら明けていて、6月末には真夏の気温。そして台風の巨大化。。

人間が、自分たちのことばかり考えて自由勝手に過ごしてきたツケがきたのだろうと日々思う。地球が怒っているのだろうとも。。

台風が来るとなると、みんなスーパーに行って食料を、買いだめる。たかだか1日、2日家から出ないだけなのに。そんな時こそ、冷蔵庫の中の断捨離チャンス!

冷蔵庫には、ついつい日々の買い物で買いすぎてしまっているものや、いつ買ったのかわからないもの等々、片付けた方が良いモノがまあまあ有るだろう。それを、この台風の時間がある日に、クックパッドでもみながら調理したり、思い切って処分したりするのはどうだろうか。

冷蔵庫も気持ちもスッキリします。実証済みでチョーおススメです。